飯舘村の臼石小学校、飯樋小学校、草野小学校の合同仮設校舎に支援金をお届けしました。
一般社団法人 東日本大震災で被災した子どもを救う基金のご支援で、寄付金が届きました。
飯舘村の臼石小学校、飯樋小学校、草野小学校の合同仮設校舎に支援金をお届けしました。
以下、会員の鈴木賢司さんから届いた報告です。
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6月25日、飯館村立臼石小、飯樋小、草野小合同の仮設校舎に支援金を林さんと届けてきました。
支援金は、灯油を入れる簡易物置の購入に役立てられます。
当初は、簡易物置の必要性がなかなか外部に伝わりませんでしたが、3校長のお話を伺うことができました。
小学校の仮設校舎のあるところは山間部で、春先までストーブを使っていますが、灯油を置く場所がなく、教室の隅に仕方なく置いていたそうです。
しかし防災上、どうしても簡易物置が必要でした。しかしなかなか現場の声が施設建設に反映されにくかったようです。
行政や政治の対応の稚拙さに正直、ガッカリでした。
子供たちは、登下校にそれぞれ1時間かけているそうです。放課後に、友達と学校のグラウンドで遊ぶこともできません。
一方で、先生方が、使命感を持って教育に取り組んでおられる様子が伺えて、心強く感じました。
ところで、「常在戦場」という言葉があります。
戊辰戦争に敗れた会津藩士18000人は、明治2年、斗南藩に移住しますが、そこは不毛の地でした。
会津藩士は、彼らの子供たちに、「常在戦場」(会津藩士にとっては、まだ戊辰戦争は終わっていない。朝敵とされ、理不尽な扱いをされても今を生き抜き、再び会津に帰ることが、この戦いに勝つことだ。)という事を
教えました。その中から、多くの有為の人材を輩出し、会津の町を復興しました。
140年程前に会津人が成し遂げた事を今の飯館の人々ができないはずがありません。
子供達の中から、将来の飯館村を担う若者が育つ事を願ってやみません。教育と故郷を愛する心がその原動力になると思います。
私達も微力ではありますが、多くの仲間と共に支援活動に取り組みたいと思いを新たにしました。
最後に、貴重な支援金を送って頂いた基金の方々に御礼を申し上げます。